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チャーチルの地球外生命論

1939年、机に向かうウィンストン・チャーチル。歴史だけでなく科学に関する著作も多く、そのテーマは進化論から核融合エネルギーまで多岐にわたる。 Credit: KURT HUTTON/PICTURE POST/GETTY

ウィンストン・チャーチル(1874~1965)は、多彩な才能の持ち主で、第二次世界大戦中の英国の首相として、また、20世紀で最も影響力のあった政治家の1人として有名なだけでなく、洞察力に富む歴史家、ノーベル文学賞を受賞した文筆家、雄弁家としても知られる。彼はまた科学とテクノロジーにも強い関心を寄せていた。

名門に生まれ、陸軍士官学校を卒業して陸軍に入った彼は、1896年、インドに赴任していた22歳のときにダーウィンの『種の起源』と物理学の入門書を読んだ。軍隊での体験記で文名を上げ、やがて政治家に転身したが、1920年代から30年代にかけては、新聞や雑誌に進化論や細胞に関するポピュラー科学エッセイも執筆していた。1931年にThe Strand Magazineに書いた「Fifty Years Hence(50年後)」1という記事では、核融合エネルギーについて解説し、「1ポンド(約0.45kg)の水に含まれる水素原子を互いに結合させてヘリウムを形成させることができれば、1000馬力のエンジンをまる1年間動かすことができる」と書いている。おそらく、彼の友人で、後に科学顧問となる物理学者Frederick Lindemannとの会話から情報を得たものと思われる。

第二次世界大戦中、チャーチルはレーダーの開発と英国の核開発計画を支持した。また、「電波天文学の父」と呼ばれるBernard Lovellをはじめ、科学者たちとも定期的に会っていた。ドイツ軍の潜水艦Uボートへの対策に統計学を用いることをめぐって空軍元帥Arthur Harrisとの間で交わされた言葉には、チャーチルの考え方がよく表れている。「爆撃屋」のニックネームを持つHarrisが、「我々はこの戦争を武器で戦うのでしょうか、それとも計算尺で戦うのでしょうか?」と不満を言うと、彼は「計算尺を試してみようではないか」と答えたという2

チャーチルは1940年代初頭にLindemannを雇い入れ、英国首相として初めて科学顧問を置いた。彼は英国に科学を大切にする環境を作った。研究機関や望遠鏡や技術開発には政府からの助成金が支給され、戦後、分子遺伝学からX線結晶学まで、幅広い分野で数々の発見と発明を生み出すことになった。

私はチャーチルと科学の関わりについてこの程度は知っていたが、2016年に米国立チャーチル博物館(ミズーリ州フルトン)を訪問した際に、Timothy Riley館長からチャーチルのエッセイをタイプした原稿を手渡されたときにはすっかり驚いてしまった。チャーチルは、「Are We Alone in the Universe(宇宙には我々しかいないのか)?」という題名の11ページのエッセイの中で、地球外生命探査について時代を先取りした考察を繰り広げていた。

彼が最初の草稿を書いたのは、欧州で戦争が始まる直前の1939年で、英国の日曜大衆紙News of the Worldに載せるためだったと思われる。当時のタイトルは「Are We Alone in Space?」だった。そして1950年代後半に、彼の本を出していた出版業者Emery Revesの南仏の別荘に滞在しているときに、軽く手を入れた。このとき、科学的理解と用語の変化を反映して、タイトルを「Are We Alone in the Universe?」に改めている。Revesの妻Wendyは、1980年代にこの原稿を米国立チャーチル博物館アーカイブに寄贈した。

2016年5月に博物館長に就任したRileyが原稿を発見したのは、最近のことだという。彼の知るかぎり、このエッセイはRevesの個人コレクションになっていて、一度も公表されたことがなく、科学的にも文学的にも検証されたことはないという。自分がこのエッセイを検証する最初の科学者なのかもしれないと思ったときの私の興奮を想像してみてほしい。

以下ではチャーチルの考察のあらましを紹介する。多くの政治家が科学を敬遠している今、科学にこれほど深い関心を寄せていた指導者がいたことに感動を覚えずにはいられない。

現代的な思考

チャーチルの論考には、宇宙生物学における多くの現代的な議論が反映されている。彼は本質的に、「宇宙の広大さを考えれば、地球上の人類が唯一無二の存在であると信じるのは難しい」とする「コペルニクス原理」の上に立っている。エッセイは、生物の最も重要な特徴を定義することから始まる。彼によれば、それは「子孫を産んで増えていく」能力だ。続いて、一部のウイルスは結晶化でき、分類が困難である点を指摘して、「比較的高度に組織化された生物」(おそらく多細胞生物)だけを考えることにしようと決める。

彼は最初に、「我々が知っている全ての生物は水を必要とする」と主張する。生物の体も細胞も水を主成分としている。水以外の液体を利用する生物の可能性を最初から否定してはいけないが、「現段階でのいかなる知識も、我々がそうした可能性を考えることを許さない」とする。液体の水の存在は、火星や、土星および木星の衛星や、太陽系外惑星での地球外生命探査の指針にもなる。地球上の生命の誕生に不可欠だった水は、宇宙に豊富に存在している。水は、ほとんど全ての物質を溶かすことができる万能溶媒で、リン酸塩などの化学物質を細胞内に運び込んだり、運び出したりすることができる。

チャーチルは次に、いわゆる「ハビタブルゾーン」を定義する。恒星の周りの、温度が高すぎもせず低すぎもせず、岩石惑星の表面に液体の水が存在するのにちょうどよい、限られた領域のことである。チャーチルは、生命は「マイナス数度から水の沸点まで」の温度でしか生きられないとし、地球の温度が太陽からの距離によって決まる仕組みを説明する。惑星が大気を保持する能力についても考察する。気体が高温になるほど分子の運動速度が大きくなり、惑星から逃げ出しやすくなるため、長期にわたって惑星上に気体をとどめておくには、より強い重力が必要になる。

NASAの火星探査機マーズ・リコネッサンス・オービターが撮影した火星の表面の写真。現在、水の探査が進められている。 Credit: NASA/JPL/UNIV. ARIZONA

これらの要素を考え合わせると、太陽系で地球以外に生命がいる可能性がある惑星は火星と金星だけである、というのがチャーチルの結論だった。彼は、火星より外側の惑星は温度が低すぎるとして除外し、水星については、日の当たる側は温度が高すぎ、日の当たらない側は低すぎるとして除外し、月と小惑星については、重力が小さすぎて大気をとどめておけないとして除外した。

チャーチルがこのエッセイを書き始めたのは、H・G・ウェルズの1898年の小説をもとにしたラジオドラマ『宇宙戦争』が1938年に米国で放送されたばかりで、マスコミが「火星フィーバー」をあおっていた頃である。火星に生命がいるのではないかという推測自体は19世紀後半からあった。きっかけは、1877年にイタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキャパレリが、火星の表面に「直線的な模様(canali)」が見えると報告し、これが「canal(運河)」と英訳されたことで、何らかの文明によって建設された人工物だと考えられるようになってしまった。やがて、これらの模様は目の錯覚であることが明らかになったが、火星人の概念は人々の心にいつまでも残った。火星人を扱うSF小説は枚挙にいとまがない。その頂点に位置するのが、1950年に米国ダブルデイ社から出版されたレイ・ブラッドベリの『The Martian Chronicles(火星年代記)』だった(英国では、1951年にルパート・ハート=デーヴィス社から「Silver Locusts(銀のイナゴ)」というタイトルで発表された)。

壮大な展望

チャーチルは次に、他の恒星が惑星を持つ可能性を評価する。前提となるのは、「太陽は銀河系にある数十億個の恒星の1つにすぎない」という認識と、1917年に天体物理学者James Jeansが提案した惑星形成モデルである。これは、恒星のすぐ近くを別の恒星が通りかかるときにガスが引きちぎられ、それが固まって惑星が形成されるというモデルだ。チャーチルは、恒星同士がそこまで接近することは非常にまれであり、「我々の太陽のように惑星を持つのは本当に例外的で、唯一無二の恒星であるかもしれない」と推論する。

ここからがチャーチルの本領発揮だ。続く「けれどもこの推論は、特定の惑星形成モデルに依拠している。もしかすると、このモデルは間違っているのかもしれない。我々は、何百万もの連星があることを知っている。連星がこれだけたくさんあるのだから、惑星系がもっとあっても不思議はないではないか?」というくだりには、彼の健全な科学的懐疑主義が見てとれる。

実際、今日の惑星形成理論はJeansの理論とは大きく違っていて、岩石惑星のコアは多数の微小天体の降着によって形成されたと考えられている。チャーチルは、「我々の太陽が宇宙でただ1つの惑星系を持つ恒星であると信じるほど、私はうぬぼれていない」と言う。

こうして彼は、太陽系外惑星のかなりのものが「表面に水を保持し、大気をとどめておくのにちょうどよい大きさ」で、その中のいくつかは「生命の存在に適した温度を維持できる程度に主星から離れている」だろうと結論付けた。

1990年代以降、数千個の太陽系外惑星が発見されているが、チャーチルがこのエッセイを書いたのは、その何十年も前のことだ。また、天文学者のFrank Drakeが、宇宙広しといえども電波を使って通信できるような生命体がどれほど少ないかを1961年に確率論的に見積もっているが、これよりも古い。ケプラー宇宙望遠鏡のデータから推定すると、銀河系には、太陽と同じくらいかそれよりも小さい恒星の周りのハビタブルゾーンに、地球サイズの惑星が10億個以上あるようだ3

チャーチルは、太陽系外惑星までの遠さを考え、そうした惑星に「動物や植物がいるかどうか」を私たちが知ることは決してないだろうと結論付けた。

より大きな描像

チャーチルは太陽系探査が実現する可能性は高いと考えていて、「いつの日か、もしかするとそう遠くない将来、月や、もしかすると金星や火星にさえ行けるようになるかもしれない」と書いている。しかし、恒星間の航行や通信は本質的に難しいと考えていて、太陽から最も近い恒星まで行って帰ってくるのに光でも5年はかかり、銀河系から最も近い大きな渦巻星雲(アンドロメダ星雲のこと。当時は渦巻銀河を「渦巻星雲」と呼んでいた)は、その何十万倍も遠いとした。

地球外生命についての彼の考察は、「星雲は数十万もあり、それぞれに数十億個の恒星があるのだから、生命が存在できるような惑星を持つ恒星は限りなく多いと思われる」という楽観的な見積もりで終わる。ここから、チャーチルが天文学者エドウィン・ハッブルの研究成果を知っていたことが分かる。ハッブルは、1920年代後半から1930年代初頭にかけて、銀河系のほかにも多くの銀河があることを発見していた。最近の見積もりによると、その数は約2兆個であるという4

しかし、当時の厳しい時代背景を反映して、チャーチルは次のように続けている。「私個人としては、地球上で我々が築き上げた文明など、大層なものとは思っていない。だから、この広大な宇宙の中で、思考する生物が地球にしか存在しないとは思えないし、広大な時空に現れた生物の中で、ヒトが精神的にも肉体的にも最高の発達を遂げているとも思えない」。

2017年4月13日にNASAは、土星の氷衛星エンセラダスのプリューム(表面の割れ目から宇宙空間に吹き出している水蒸気と氷粒子)に水素分子が含まれていることを確認したと発表した。この水素分子は、海底に熱水噴出孔があり、そこで海水と岩石が反応したことで生じた可能性が高いという。水素は微生物のエネルギー源になり、また太古の地球は、こうした環境で生命をはぐくんできたと考えられている。 Credit: NASA/JPL-Caltech

それから80年近く経った今、チャーチルを夢中にさせた問題は、科学研究の最もホットなテーマの1つになっている。火星では地中で生命の兆候を探すプロジェクトが進められているし、金星の気候のシミュレーションは、この惑星がかつては生命が住める環境だったことを示唆している5。天文学者は、数十年後には、太陽系外惑星の大気中に生命が存在している、あるいは過去に存在していた兆候を発見するか、少なくとも、生命の存在がどのくらいまれであるかを絞り込むことができるだろうと期待している6

タイムリーな発見

このエッセイからは、チャーチルが社会の発展には科学と技術の成果が欠かせないと考えていたことがよく分かる。彼は、ケンブリッジ大学(英国)にチャーチル・カレッジを設立するための準備に携わっていた1958年に、「人類を科学と工学の新世界に導くことによってのみ、我々は将来にわたってこの地位を守り、生きていくことができる」と記している7

けれども彼は、人文科学を理解していない科学者が、道徳への配慮なしに動いてしまう可能性を危惧していた。「我々の世界には科学者が必要だが、科学者の世界は必要ない」と言っていた8。チャーチルは、科学を「人類の主人ではなく僕にする」ため、人道主義的価値観にのっとった適切な指針を置かなければならないと感じていた。1949年にマサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)の卒業式で述べた式辞でも、「現代科学のこれだけの資源がありながら、世界の飢饉を回避することができないなら、我々全員に責任がある」と語っている。

チャーチルは科学のファンで支持者だったが、人間的な価値観に立って重要な科学的問題を考察していた。今日のような政治的状況では、政治家はチャーチルに倣って常任科学顧問を任命した方がよいだろう。そして彼らにしっかり働いてもらうのだ。

翻訳:三枝 小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2017.170524

原文

Winston Churchill’s essay on alien life found
  • Nature (2017-02-16) | DOI: 10.1038/542289a
  • Mario Livio
  • Mario Livioは天体物理学者で、作家でもある。近刊は『WHY? What Makes Us Curious(なぜ? 好奇心の起源)』。

参考文献

  1. Churchill, W. ‘Fifty Years Hence’ The Strand Magazine (December 1931).
  2. Jones, R. V. in Churchill (eds Blake, R. & Louis, W. R.) 437 (Clarendon Press, 1996).
  3. Dressing, C. D.& Charbonneau, D. Astrophys. J. 767, 95 (2013).
  4. Conselice, C. J., Wilkinson, A., Duncan, K. & Mortlock, A. Astrophys. J. 830, 83 (2016).
  5. Way, M. J. et al. Geophys. Res. Lett.43, 8376–8383 (2016).
  6. Livio, M. & Silk, J. ‘Where Are They?’ Physics Today (in the press).
  7. Churchill, W. ‘Churchill College’ The New Scientist 12 (15 May 1958).
  8. Humes, J. C. Churchill: The Prophetic Statesman 82 (Regnery History, 2012).